そして沈む。
プロジェクトの立ち上げに伴い、土木、機械、電気、建築の各分野からそれぞれ2名が採用された。通信は本部が支援した。プロジェクト・マネジャーにはスタンフォード大学で博士号を取得している男が就いた。国籍は日本なのだが中学生くらいの日本語しか書けない男だ。組織の内部ではこのようなグループがいくつも作られた。
月日は過ぎ、プロジェクトはいま使命を終えようとしている。
いち早くぬけたと言って去った男・・・この男は客先グループにいた男だった・・・N大学の郡山(福島県)にある工学部の助教に収まってしまった。プロジェクト・マネジャーもアメリカに帰ろうとしている。
ぼくは、、、ゆっくり過ごそう。 そして、人生の豊かなフェーズ・ツウをゆっくりスタートしようじゃないか!
陽は昇り、
そして沈む。
それはくり返すのさ。
今年の秋は忙しくまだ紅葉狩りにも出かけていない。そんな訳で、去年に訪れた奥日光の写真を使った。
2010年11月20日土曜日
2010年11月7日日曜日
2010年10月17日日曜日
最期の帰宅
2010年10月10日日曜日
零八憲章
(ノーベル平和賞:中国の劉暁波)
ここに述べることはひとつの単なるreflectionであり、ましてや中国の政情にうといわが身であれば中国政治について語ったものではありえません。
零八憲章が民主政治を記述するに、日本の中学校の政治経済の教科書のようだ。簡にして要を得たりかな。ただし注目した点はそこにあらず、政治用語が日本で使われている用語とほとんど同じということだった。列記してみましょう:我們的基本理念、自由、人權、平等、共和、民主、憲政。
全く異なる国家が文字を共通にする便利さは計り知れない。
これらの政治用語は日本人がもともと創作したものだと言われている。日本人単独の創作とも思えないけど、どのくらい中国人と知恵を絞って合作したのだろうか?なにしろ彼らは漢字使いの名手にちがいないのだから。
1911年から1912年にかけて辛亥革命(しんがいかくめい)が起こり共和制国家である中華民国が樹立した。その時の革命のスローガンは:駆除韃虜、恢復中華、建立民国、平均地権(打倒清朝、回復中華、樹立民国、地権平等)
近代化に先に成功した日本から見習うことがたくさんあると、1万人もの中国人留学生が毎年日本に滞在していた頃です。辛亥革命のスローガンの中に平均地権とあり、政治用語の翻訳化はすでに一通り終わり、言葉のブラッシュ・アップが行われて頃になるのだろうか。
日本人が主導して政治用語の翻訳に当たったのはやはり本当だったのでしょうか。
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2010年9月19日日曜日
またか?!
2010年8月8日日曜日
〆て39万円
昨日はデジカメをパソコンに繋ぐためのUSBケーブルを買いにヨドバシカメラ横浜店にいった。USBケーブルはどこに置いてあるのだろうかと、まずはそれぞれのコーナーをひと廻りしたのがいけなかった(><)
まえから天体望遠鏡の更新を考えていたのだが、その天体望遠鏡のコーナーに足を踏み入れてしまったのだ。スタッフいわく、今日中に購入すれば来週の水曜日には届くとのこと(←お盆中に届けられますかと尋ねていた)。嗚呼、わかっていながらやってしまった。
↑上の写真をごらんください。自慢ではありませんがぼくお得意の瞬発芸なんです 〆て39万円の出費(;^_^ アセアセ… ま、竹を割ったようなすっきりした性格とでもいえるかな。江戸っ子は宵越しのゼニは持たないって言うしね^^
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2010年7月10日土曜日
鬱
W杯どっちが勝つ? 勝利のキスは 俺らんだあー
鬱を持った友人がまた低空飛行に入ったようだ。彼の好きなダジャレを掲載してもコメントを入れてこない。このダジャレなんか良い出来と思うのだけどなあ、いつもの彼なら負けずとすぐに自作を発表するはずなのだ。
鬱はつらい病気だ。がんばれ。
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鬱を持った友人がまた低空飛行に入ったようだ。彼の好きなダジャレを掲載してもコメントを入れてこない。このダジャレなんか良い出来と思うのだけどなあ、いつもの彼なら負けずとすぐに自作を発表するはずなのだ。
鬱はつらい病気だ。がんばれ。
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2010年7月5日月曜日
2010年7月4日日曜日
地頭力
さいきん、突破力という言葉をTVで聴く。元祖は宮崎学の突破者(とっぱもの)でしょう。
地頭力(じあたまりょく)という言葉も静かに浸透している。
日本に電柱は何本あるか?という問いを2,3分で解ければあなたは地頭力がわかっていますよね。
元気な日本。強い経済 強い財政 強い福祉・・・・与党のキャンペーン
消費税10%を問うた野党第一党もえらいです。
ニッポン再生はなるのだろうか?
閉塞感を打破したい国民の気持ちは強い
/
地頭力(じあたまりょく)という言葉も静かに浸透している。
日本に電柱は何本あるか?という問いを2,3分で解ければあなたは地頭力がわかっていますよね。
元気な日本。強い経済 強い財政 強い福祉・・・・与党のキャンペーン
消費税10%を問うた野党第一党もえらいです。
ニッポン再生はなるのだろうか?
閉塞感を打破したい国民の気持ちは強い
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2010年6月27日日曜日
2010年6月6日日曜日
2010年5月8日土曜日
GW 去りなん、いざはたらかもめ めももめ めめめ
2010年5月1日土曜日
2010年4月26日月曜日
遅い春
GWの一日目を早くももぎとった。もっとも今週は今日休むだけだけど^^;
日曜日(昨日)は奥日光に向かった。待ちに待った金精峠が開通したのだ。
ふもとの日光市の辺りはいまサクラが満開でした。
サクラの種類はソメイヨシノではないけど、去年との比較では
10日ほど遅いようだ。やはり今年の4月は寒いのだと思った。
奥日光ではサクラが咲くのは5月に入ってからなので青森県辺りの気候と似ているのだろうか。早朝の気温は-4度だった。
日曜午前の討論番組を車内で見る予定にしていたので、4AM に家を出て7AMに着いた。
だけど、映像は良く映らなかったので音声だけを聴いた。
7:30AMから始まる番組を見終えてから湯ノ湖を一周した。雪が岸辺にまで残っており、周遊道の半分には立ち入り禁止の看板が掛っていたけど歩いてしまった^^;
それから尾瀬に向かった。途中にある丸沼高原スキー場はスキー客でいっぱいだった。 軽装なので尾瀬沼まで入ってゆくことはできないけど、入園者が身支度を整える駐車場のあるところに(尾瀬沼はここから7.5km奥にあります)、1haほどの広さの湿地がありミズバショウやザゼンソウの群落が見られるのです。今回は数株のザゼンソウが開花を始めたところでした。
それからロマンチック街道を沼田に向かって走った。サクラが満開で、ピンクの花が(こうして書くと自分が植物をいかに知らないかよくわかり恥ずかしい、桃か杏なのでしょうか。どなたかに教えていただきたく写真をアップ^^;)ほぼ満開になろうとしていた。梨は咲き始めのようだった。リンゴの枝はまだ春眠暁を覚えず状態だった。地べたにはスイセンの黄色が咲きこぼれ、ネギ坊主が白い花をつけていた。これらがあたまを360度振るだけで全部一度に見みられるのだ。遠方には北アルプスなのだろうか純白の峰々が快晴の日差しのもとで輝きながらそびえていた。ぼくにとっては桃源郷のように見える。 上州(群馬)のからっ風は有名ですが一度に春を迎えようとしている時期に偶然立ち会えてよかった。 なお、このあたりもたくさんの工場や住宅が点在し、ぼくが車を駐車させた土地はりっぱな特老施設の駐車場でした。生活のない桃源郷なんか存在しないし、若い人は都会に出たがっている。最近亡くなられた立松和平の『遠雷』はまだ鳴り続いているジャパンかなの心象風景を抱いて次の目的地に向かった。
中国にはとうとうキャッチアップされたし、日本をもう一度チクっと洗濯しないといかんぜよ。でもなぁ、あ~~ぁ上海万博にいきた~~い^^;
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2010年4月24日土曜日
はなみずき
今年も薄紅色のはなみずきが咲いた。
先週の土曜日につぼみのままのはなみずきを見かけたので、
いつ咲くか待っていた。あっという間の開花です。
去年見たはなみずきは青々とした葉と共にもっと大きな花だったように
記憶しているのだけど、
同じ場所で去年も写しているので開花が遅いのか早いのか
もろもろを比較できるのですが肝心の写真が見つからない。
毎年繰り返す自然の営み、leave it as it is.そこにあってこそ。
心に平安が流れる。荒海やさどによことうあまのがわ(^^)
乙女チックな花であるけど荒くれた男心をも深く貫く。
小さい頃、宇宙がいつかなくなるという話を聞きつけものすごい
不安に落とされたことを覚えている。ビッグバンはその後も
時間空間の創生と消滅の結論の一つに変りはない。
時は流れ、そのようなことに惑わされなくなった。
はなみずきが咲いた。それだけで充分ではないか。
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2010年4月15日木曜日
春うららうららうらうらよ
2010年4月5日月曜日
おだてりゃ木に登る
2010年4月4日日曜日
あぶない世界
2010年4月3日土曜日
ヒレナガニシキゴイ
たしかにつけまつげをしているかのようにも見えますね(^^)
皇居二の丸にも放流されているそうです。
画像の取り込みがうまくゆかないので出典先を示します、
http://www.photolibrary.jp/img142/31741_669646.html
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皇居二の丸にも放流されているそうです。
画像の取り込みがうまくゆかないので出典先を示します、
http://www.photolibrary.jp/img142/31741_669646.html
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2010年3月27日土曜日
Sakura
2010年3月21日日曜日
坂本龍馬
去年(2009)後半から龍馬について俄然興味を抱き、司馬遼太郎の8巻と津本陽5巻は最初に読破した。このことだけでもぼくの人生異例の出来事です。
インターネット検索でも、幕末・維新のころに活躍した群像のページを見つけることができるのですが、去年の暮ころからは龍馬のことが書かれた書籍や記事がすごい量になっている。売れ筋になっているのだろう。目につくものはみんな買うことにしている。手にした中で龍馬の案内本として優れているのは朝日新聞出版の「龍馬が歩いた 幕末地図」だろう。写真と地図がたくさん載っていて初級・中級者向けにぴったりだ。中級者ならすでにお気に入りの年表を持っているのだろうが、この「龍馬が歩いた 幕末地図」には年表がないのがちょっと残念です、グラフィカルな編集で読者をつかもうという意図なのかもしれない。
龍馬のことはコンテンポラリーな話題でもあるのだろう、今朝のY新聞に、千葉佐那(さな)の記事を見つけた。千葉佐那(佐那子)は龍馬が江戸剣術修業中に出会い婚約者だったといわれている女性なのですが、幼なじみの平井加尾(かお)や妻のお龍(りょう)さんと比べられて論じられるところがあります。今朝のY新聞の記事では、彼女が飛び切りの美人であったという記述が、宇和島藩8代藩主伊達宗城(むねなり)の日記などをもとに記された歴史史料の中にあることがわかったそうです。同時代の史料から確認されたのは初めてだそうです。彼女は龍馬を慕いながら一生を独身で通しました。(全国紙の社会面に囲いページで出てくるところがすごいと思いました)
いつか佐那の悲劇として小説を書きたいと思っています。こんな風に自分の企画を発表すると誰かに先を越されてしまうかなあ。。。誰もお前の日記など知らないって^^;
2010年3月13日土曜日
今日は、春一番でした。
2010年3月9日火曜日
腕白に育て!
2010年3月7日日曜日
開店の発表^^
多忙を言い訳に書き込みをしてこなかった。う~ん、エビがバックしながら進行している姿をテレビで観た。敵に襲われて逃走するところだったかもしれない。カワセミを見た。川の宝石と呼ばれるようにびっくりする美しさだった。今度は野生のキジを見たいけどどこに出かければみられるのさ? ツイッターに使えそうなつぶやきになってしまいましたがツイッターは嫌いです。単なる流行だと思う。
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