2010年10月17日日曜日
最期の帰宅
ハナミズキの実が赤く実る
さわやかな秋の朝からはじまった。
男は実家に向かっていた。
担当医は母親の子供たち3人に病状説明のため集まるよう伝えてきていた。
不安はあるがまだまだ峠は先だろうと気楽に思いながら、湾岸道路の渋滞につかまっていた頃、携帯が鳴りだした。
「お母さんが死んだよ」
突然の悲報。
父は膠原病の治療薬でやつれ苦しみながら亡くなったが、母は安らかに永眠したと立ち会った兄は語ってくれた。
病院から母の最期の帰宅
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2010年10月10日日曜日
零八憲章
(ノーベル平和賞:中国の劉暁波)
ここに述べることはひとつの単なるreflectionであり、ましてや中国の政情にうといわが身であれば中国政治について語ったものではありえません。
零八憲章が民主政治を記述するに、日本の中学校の政治経済の教科書のようだ。簡にして要を得たりかな。ただし注目した点はそこにあらず、政治用語が日本で使われている用語とほとんど同じということだった。列記してみましょう:我們的基本理念、自由、人權、平等、共和、民主、憲政。
全く異なる国家が文字を共通にする便利さは計り知れない。
これらの政治用語は日本人がもともと創作したものだと言われている。日本人単独の創作とも思えないけど、どのくらい中国人と知恵を絞って合作したのだろうか?なにしろ彼らは漢字使いの名手にちがいないのだから。
1911年から1912年にかけて辛亥革命(しんがいかくめい)が起こり共和制国家である中華民国が樹立した。その時の革命のスローガンは:駆除韃虜、恢復中華、建立民国、平均地権(打倒清朝、回復中華、樹立民国、地権平等)
近代化に先に成功した日本から見習うことがたくさんあると、1万人もの中国人留学生が毎年日本に滞在していた頃です。辛亥革命のスローガンの中に平均地権とあり、政治用語の翻訳化はすでに一通り終わり、言葉のブラッシュ・アップが行われて頃になるのだろうか。
日本人が主導して政治用語の翻訳に当たったのはやはり本当だったのでしょうか。
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