2012年10月21日日曜日

信州露天風呂の旅




信州(長野県)は近くて遠い。行楽の季節で道路が混むので時間がかかってしまい遠いと感じたのだろうね。たぶん、ぼくだけの個人的体験なのだろう。 

予定とはあくまでも予定。出発の時間が遅れてしまいました。人生とはいつもそんなことが起こるものなのだ。 

さて、何を日記にしようか? 自分は遅筆なことをよくわかっている。記事は熟さないと書けないものなのだ。松本から甲府に向かう途中、ウインドシールド(フロントガラス)越しに突然に現れた日本の主峰、富士山。丹沢山系を下に従え雲の上に現れた雄大な姿は圧巻だった。 
カーラジオから流れるトークに ハッとする。会話に耳をそばだてた。作家の所作は二通りのようで プロットを準備してから物語を書く作家と、最初の2行が決まると一気に書き上げてしまう作家、の二通りらしいです。 

富士山の雄姿を眺めながら車を走らせ すべてが小さいことのように思えた。そうなのだ、トイレの漏水で今月の水道の請求金額2万円が届けられたことなど日常のささいなことなのだった。 

ぼくの流儀では あるべき形は熟さなければ書けないのだ。そんな間違いが日本の教養人に蔓延している。。。 

K子に了解を貰って、道中のスナップをアップロードするだけにした。 





2012年5月26日土曜日

ファイヤアァァァァ!!


セーラー服が大好きだそうです。 愛川こずえちゃんです。 このこほんとうにダンスがうまい!! スカートされいまは
DANCEROIDというユニットの一員として踊っている。

DANCEROID



成長して欲しい!

2012年4月21日土曜日

八重桜 山桜 咲いた




4月21日(土)。曇っていて寒いので計画していた遠距離ドライブは
急遽取りやめ (爆笑
自宅から見える公園の八重桜を狙いました(笑) 山桜もきれいです。
ソメイヨシノなぞなくても困らん (^^;

午後は千葉県木更津市に最近オープンしたアウトレット・モールに出掛けるつもり。関東圏最大のショッピング・モールだよ。横浜から東京湾横断トンネルを通ってあっという間に到着 (のはずですぅ~)!! 酔っぱらって、部屋で爆睡か!!

(^^)


秋2011 豊年万作








逃走する高句麗王を遇した8世紀日本の態度
高麗郡、この地は保存に値する
国際関係は一通りでないことを見学できる
.
明治以降、そして 豊臣秀吉の朝鮮出兵の、日本と朝鮮との関係
境内は荒れたであろう、朝鮮蔑視の時代に 寺社仏閣を守りぬいた縁故の人々
地域との和合が図られたことは武蔵野霊場26番前で、オイラは頭をたれたとき、はっきりわかった
.
異国の服装、いにしえからの国家興亡と流転を聴きとった
マネキンの美男子顔、K-POP<少女時代>の美脚が浮かんでしまって困った
.
2012年、プーチン氏は大統領に復帰する
未来は切り拓くものであることを改めて感じた


毒リンゴ




最近の野菜は果物並みになってきた。左にある果物はグレープフルーツ中玉で、右に置いてあるのはトマト。
大きさもビックですけど、値段もびっくで、なんと¥150です!!

トピの立て方でブログの閲覧も異なってきますね、それでトピは毒リンゴとしました^^;
「毒リンゴ」で短編の小説を考えています^^。 ま、公表してしまうくらいだから駄作に間違いありません。

2012年4月16日月曜日

春はかすみ





あらまっと、関東ではもうサクラは散ってしまったと思いきや、4月15日の群馬県館林市のサクラです。さらさらさらと花弁が散っていました(^^)  群馬県館林市の茂林寺の裏手にある沼では、水が温んできたのか、野生の鯉が浅瀬に現れて産卵活動をしている現場に出会えました(^^) 

茂林寺=「ぶんぶく茶釜」で全国的に有名です。

2012年4月7日土曜日

さくら サクラ さくら



ときは 2012.4.7 ところは横浜。 ぼくの住んでいるマンションの敷地にある桜(ソメイヨシノ)です(敷地のサクラ全体では7分咲きから満開まで不揃いです)。  春ほど日本列島が南北に長いことを実感できる季節はないですね(^^)
 いえ、地震、津波、台風、火山、豪雪、干ばつ、冷夏。 この国は自然災害のショーケースです。 いえいえ、最近は放射能汚染という人工災害も加わりました(^^; この世は万華鏡。2012年の春。


 しばし 盛り上がりましょう!!





 (^^)

2012年2月29日水曜日

民間事故調  事故の検証 福島原発

福島の原子力発電所事故の検証については 現在大きくみっつの調査会が活動しています。活動目的は刑事罰や行政罰をみつけることではなく事故を検証し改善を見つけ将来に活かすことです。

民間事故調(福島原発事故独立検証委員会): 有識者が行っている調査。調査に強制力がないので委員の熱意と分析力が頼みの綱。役所より役所的といわれる東電は民間事故調のヒヤリングを拒否した。

政府事故調: 委員長は畑村洋太郎東京大学名誉教授。失敗における考察で失敗学を創設した人です。政府事故調には設立の法的根拠がないままであるといわれている。委員たちは報告書提出後も多かれ少なかれ行政府と関係のあるところで生きてゆく人たちばかり、また 政府事故調の事務局は官僚たちなので行政組織に批判的なことは強く書けないだろうと予想する人が多い。中間報告では、工学的な面に重きが置かれていたように感じた人が多い。

国会事故調: 国会が設けた事故調査委員会。国会で証人喚問するといった国政調査権を行使できるので調査権限は強いといわれる。 政治力学を排除して有力な議員たちが犯した過ちを公平に批判できるかどうか問われる。



今回発表された民間事故調の報告書

調査に限界があったと見られているが、みっつの調査会のなかでは一番優れた報告書になるであろうとぼくには思える。

腐れ縁がないので忌憚のない報告が随所にみられ、なおかつ内容の価値が高い。他の二つの調査会からはきっと得られないだろうと思える。

随所に鋭い批判を加えている報告書であるが、ぼくが一番感心したのは 3月15日東電が撤退したいと漏らしたことに対して菅首相は東電本店に乗り込み押し留めたことを正しく評価していることです。菅首相の個性が正負両面に出たのは確かだ。 国民の放射能に対するパニックに対して管首相が『我らはこの島で生き続ける』と宣言できていればその後の対応はもっとちがっていただろう。

菅首相に個人的な恨みなどさらさらない身であれば批判的なことを書くことははばかれるのであるが、彼は公人であったので書かせてもらいます。いち市民運動家のままに彼は首相にまで登りつめてしまった。市民運動家の本質をさらけだして見苦しかった。彼には組織を統括して危機管理することなど本来できないことだったのですが、彼のとった行動のなかで正しいところは正しかったと評価した報告書。報告者たちの面目躍如です。

あの時、この国の多くのジャーナリストは、東電に罵声を浴びせる菅首相を『首相のパフォーマンス』と激しく非難していた。

ついでに触れると、民間事故調は船橋洋一氏の働きかけで動き出したプロジェクトです。船橋洋一氏はA新聞の主筆を勤めた方です。A新聞は日本人が骨太の精神を失った元凶のひとつと思っていますが(発行部数が多いので勢力は依然ありますが、いつか国民から見放されるでしょう)、民間事故調の内容はあっぱれと思って昨日の新聞に載った要旨を読みました。 変革の時代が来た。この国は面白くなって来た。

2012年1月14日土曜日









晩秋に訪れた東北沿岸の震災地。なんとなく気がかりなところがあり、だけど、あとで調べてみようと放置しておいた。いま調べていて、あっ!と驚きの声を漏らした。

雄勝町
森の中、R398を走った。突然前方の視界が開けた。破壊のすさまじさに呆然。そして町に似合わないりっぱな物産会館が残っていた。その建物は破壊されてしまった後も往時をうかがえた。大津波は河口から襲撃を開始し、狭い谷に建つ建物を次々となぎ倒し内陸へと這い上がったのだろう。大型バスが階高15mの建物の上に押し上げられているのだ。岸壁の巨大ブロックが、あるいは沈下し、あるいはあっちにと向きを変えているのだ。物産会館はかろうじて残った建物のひとつだ。この町は妙にこころに残っていた。いま、自分が走ったルートを地図でたどっていて、あっ!と驚きの声を漏らした。この町は雄勝町なのだ。硯(すずり)や薄板天然スレートの産地として全国に有名です。JR東京駅の復元工事が進行していますが、東京駅の屋根にも雄勝町のスレートが使われています。

貞山運河(ていざんうんが)
走ったルートにはその他さまざまな面白いものがあった。そのひとつが貞山運河です。
仙台空港の南側から北上を開始したのですが、空港と海岸砂丘・防風林との間に延々と大型の堀が海岸に沿って走っていることに気づいた。運河(堀)って、河と河、河と海などをつなぐものと思うけど。。。調べていて正体を突き止めたのですが、なんと旧北上川から阿武隈川まで約60kmに及ぶ日本最長の運河系なのです。最初の堀は仙台藩主伊達政宗の命令により開始されたようです。海岸から数百メートルと離れてないところを海に沿って進む運河。明治になってからもこの事業は進められました。

なぜ日本海を利用する北前船(きたまえぶね)があったのでしょうか? 海原の船乗りは命がけでした。内陸航行は悲願だったでしょう。ひいひいお爺さんの時代まで重量物や大量輸送は船でした。『物資を運ぶ』という命題に私達はどう答えていたのでしょうか。

応用問題:日本の総面積の4倍以上の流域とそこに4億以上の人口を抱える長江(揚子江)。河口の川幅は80kmにもなります。原稿用紙4枚で水運について答えなさい。


写真は、ぼくの、目には映っているが気づいていないことをよくあらわしています。