2014年6月25日水曜日

富岡製糸場


昨年のNHK大河ドラマ「八重のサクラ」に登場する新島襄。彼の両親が暮らしていた家が群馬県安中市にあるので、訪ねてみようと思っていました。そこから車なら短時間のところにある富岡製糸場もついでに見学しておこうと思っていました。思いはじめてからすでに1年が経過してしまいました。富岡製糸場のほうは世界遺産登録決定となりましたね\(^^)

富岡製糸場は今年に入ってからTVなどで紹介される頻度が多くなっていました。ある番組で、片倉工業()という会社が製糸場の操業停止後も2005(平成17)に富岡市に寄贈するまで18年間も管理していたことを知り、それは只事ではないぞと鼻がぴくぴく鳴りました。いわゆる臭覚というやつです。

622日、片倉工業 () は大手新聞の1頁を使って、「一緒に過ごした時間を、誇りに思います。ありがとう。富岡製糸場と絹産業遺跡群 世界遺産登録、おめでとうございます。・・・」云々というメッセージを流しました。このブログを書くに当たって新聞をひっくり返して確認しようとしたのですが、どうしても見つけられませんでした。発表は全国版だったかどうかもわかりません。

ただ、なんとも感動する話で、片倉工業()は只者ではないなとますます調べてみたくなりました。果たして私の習った「女工哀史」は実相だったのか?

製糸工場といえば別の思い出があります。私の実家がある市にグンゼの鴻巣工場があり、産業構造の変化でいつしか閉鎖されていました。子供心に「どんな会社なのだろう」と思っていました。自分の父親に尋ねるか自分の足で調べればわかったのでしょうが、疑問はいつもそのままにしてしまいます。。。鴻巣駅のすぐ隣りにあったのですが、7,8年前に鴻巣駅に降り立ったとき、ショッピング街区に変わっていました。イオンモールのように周辺地区をブラックホールのように飲み込み夜も煌々と輝く巨大な不夜城ではありませんが、人口10万人余の埼玉県鴻巣市にはちょっと欲張りのショッピングセンターが出来上がってました。繊維産業の栄枯盛衰。グンゼはもう消滅したのだろうとおもったのですが、実はグンゼのリードで開発されていたのでした。

 
今日の話題をきっちりまとめるには5ページくらいかかってしまいそうです。ですから、省略、省略。最終段落にいっきに飛びます。

 
繊維産業の劇的な変化にグンゼはどう対応したのでしょうか。東レや帝人など他の繊維会社についてもいえる話です。
そして、片倉工業()の現在はいったいどうなっているのでしょうか??

(画像はネットからいただきました)



 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿